事件を見ながら考えさせられる親子関係

こんにちは、管理人のまちゃみんです。



師走に入り、一年を振り返る番組が流れはじめましたね。

こういう番組を見ていると、楽しいニュースがたくさんあった反面、嫌なニュース、気分が悪くなるようなニュースがたくさんあったなと。


あおり運転、虐待死、殺人、、、


そして、テレビに映し出される容疑者の中には、多くのカメラフラッシュを前にニヤニヤしてみたり、悪びれる様子もなく堂々とテレビカメラを睨みつけるような人もいました。


もはや脳内を全く理解できませんが。


しかしその中で、、、


こういった事件や容疑者を見ながら、


「この容疑者はどんな環境で育ったんだろう?」


ということを考えずにはいられませんでした。


・・・ママあるあるですね(汗)。


その結果、ほとんどの容疑者に共通して感じたこと、それは、


メンタルの弱さ、打たれ弱さです。




幼少期の容疑者というのは、結構な割合で、今の人物像からは想像できないような、元々は勉強のできる優等生だった、いい子だった、というケースが多くあります。


そして、その多くが、小学校高学年から高校の、いわゆる多感期に挫折を味わい、道を踏みはずしてしまい、そのまま今につながっていきます。

挫折は遅かれ早かれ誰もが経験することで、大多数はそれを乗り越えて社会に出て行きますが、彼らは挫折の後に元の道に戻れない。


長期間のひきこもり状態になったり、

道をそれたまま、不当感を持ったまま社会に出たり。

そして、その理由を自分以外のものに責任転嫁して、

見えない何かへの憎しみという毒に、いつしか自らが侵され、

ある境界線を超えてしまった人というのが犯罪を犯してしまうのかもしれません。

挫折してしまった自分、否定された自分、負けてしまった自分、というのを真正面から見つめ直して、そんな自分を変えようと思えるメンタルの強さがもう少しだけあったら、と思わずにはいられません。

こういう犯罪の根っこにあるメンタルの弱さを考えていく時、いつも壁にぶつかるように考えてしまうのが、今の育児の主流である、

「自己肯定感」を育てるというトレンドです。


いわゆる、子供のことを褒めて、存在を認めてあげることで自己肯定感を高めるという育児ですが、

このやりすぎや、誤った自己肯定感の高め方というのは、メンタルの弱さに繋がる可能性ってあるのではないか、と。


「これはやっちゃダメ」


「あれはやっちゃダメ」


・・・確かに、手に触るものすべてをダメと言うべきではありませんが、


もし子供がとても危険なことをしようとしているのなら、誰かを傷つけようとしているのなら、やっぱりダメと言うべきで、ダメを使うバランスの問題だと思うんです。

そして、褒めるにもやはりバランス感覚が必要と思う訳でして、

何を褒めるのか、どの程度褒めるのか。

ずっと褒めてもらえる世界にいるのであれば別ですが、いつかは親元を巣立っていくのだから、少なからず自分が否定されることも経験させてあげるべきだと思います。

ダメなものはダメ、

負けは負け。

日々の中で起こる、「ダメ」や「負け」に免疫をつけること、とても大事なのでは?と思い、なんだかモヤモヤとしていました。

そんな時、先日、保育園での個別面談で言われたことにとても納得したんです。総合するとこんな内容でした。

「できれば3歳まで、ダメなら6歳までに。致命傷になる負けを経験する前に、小さな負けを何回も経験させる。そうすると、負けに対する免疫が生まれ、何か大きな挫折があった時に屈しないというメンタルの強さにつながります。」


賛否両論あると思いますが、私はこの言葉に妙に納得感を覚えました。


「お前はダメなやつだ!」とか、


「A君ができるのになんでお前はできないんだ!」とか、


そういう自己否定する言葉だったり態度はもちろんNGだと思います。


しかし、自分の思い通りにいつも勝負に勝てるわけではない、とか、


そんな当たり前のことを教えること、とても大切なのではと思いました。


✩✩✩


今年一年、色々な事件がありましたが、来年はより明るいニュースに溢れる一年になりますように。。。


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